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国立民族学博物館(みんぱく)は、創設37年をむかえます。2009年4月に第5代館長に就任してからの国際的なかかわりを、学術協定と外国からのゲストに焦点をあてて「館長だより」としてお知らせします。なお、本欄の国際シンポジウムの詳細は、みんぱくホームページをご覧下さい。 みんぱくホームページ http://www.minpaku.ac.jp |
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2012年 02月 07日
タルト大学ヴィルジャンディ文化科学院(Viljandi Culture Academy)のK.スンマターヴェト(KART SUMMATVET)さんが、国際シンポジウム「バルト海周辺地域の日本コレクション」(2月4~5日開催)に参加するために訪れた。
タルト大学をはじめエストニアの博物館などには、江戸末期に収集された日本資料が保存されているという。 このシンポジウムは、人間文化研究機構の「在外日本資料の調査研究」の一環として行われたものである。スンマターヴェトさんは、本館教授の庄司博史さんと親交が長く、北欧の少数民族研究だけでなく、日本の刀剣、特に鍔(つば)のデザインに魅せられていると述べていた。彼女は、エストニアがEU に加盟する前の最後の通貨(クローン)のデザインをしたことで著名である。将来は、刀剣研究に日本での長期の調査を計画すると抱負を語っている。 ![]() 2012年 01月 12日
中国の西南地域(四川省・雲南省・貴州省)に住む人口800万人の彝族についての教育・研究を専門に行う西南民族学院の15名の教員が1月12日に訪れた。
彝学学院(学部相当)には、21名の教授・准教授・講師・助教がおり、ほとんどが彝族出身者である。この学部には、280名の学生が在学し、彝語・中国語はもちろん、彝語・日本語バイリンガル専攻もあり、日本語を学ぶ学生も多いという。 ![]() ![]() 院長のアク・ウウ(中国名・羅慶春)先生は、著名な詩人で、母語(彝文字)で作品を発表しており、英訳もされている。彝文字は象形文字の形をした表音文字で、経典にのみ書かれ、これを使用できるのは司祭に限られていたが、現在は詩人や文学者がその習慣を破り、芸術作品を発表しているという。 日本展示と中国展示を見て、展示は工夫されているが、彝族文化を知らせる標本資料が少ないのでもっと増やしてほしいとの要望に対して、本館の野林厚志教授は、2年後の展示替えの際に彝族の衣装などの展示を考えると答えた。 羅院長は、「西洋を取り込んで日本流の発展を行った日本文化の奥の深さ」を知りたいと述べ、みんぱくとの研究・展示の学術交流や学生の留学を希望された。 2011年 12月 08日
2011年10月に国立台湾歴史博物館が台南にオープンした。
台湾には国立歴史博物館、国立台湾博物館、国立自然科学博物館など多くの国立の博物館があるなかで、この博物館は台湾に住む多くの人びとの歴史と文化について展示を通して「台湾人」の相互理解とアイデンティティを深めることを目的としている。台湾ナショナリズムの動きを背景に進められた国家プロジェクトであるといえよう。開館1カ月で10万人と、展示場にあふれるほどの入館者があった。しかし、呂館長は、「これはもの新しさ見たさの台湾人の風潮で、真に見たい人がゆっくり展示を観覧できない」と入館者数だけでは喜べないと述べていた。 呂館長は、1991年以来みんぱくを数度訪れて、歴史博物館建設の構想を練ったという。つまり、みんぱくが国立台湾歴史博物館の創設と展示構想に役立ったのである。 ![]() 今回の訪問は、2013年11月からの特別展示「エスニシティ・インタラクションの歴史的軌跡」展に使用する平埔族の民族資料の本館からの借用と、その特展を本館で開催することについて、野林厚志さんとの打ち合わせをするためであった。本館では、本館の資料の海外の現地への里帰り、あるいは海外の博物館所蔵の日本資料等の国際連携展示の開催を積極的に進めており、国立台湾歴史博物館からの企画を実現したく思っている。 2011年 11月 28日
蔚山博物館(金右臨館長)が2011年6月にオープンし、11月29日から第2回企画特別展「75年ぶりの故郷、1936年蔚山達里」が開催され、その開会式典に招待されて祝辞を述べた。この特別展はみんぱくの所蔵品78点で構成されている。その資料は、渋沢敬三さんが主宰したアチック・ミュージアムの同人と協力者が1936年に蔚山の農村・達里で収集したものである。調査には、渋沢さんをはじめ、小川徹さん、宮本馨太郎さんらが、達里出身の東京帝大農学部の学生さんの故郷で調査と収集にあたった。したがって、今回の展示は、農具、かご、運搬具、食器類、婚礼用具などの75年ぶりの「里帰り展示」である。
![]() 現在の蔚山は「現代グループ」の本拠地で人口120万人。1936年当時、人口2000人の達里の村の姿は跡形もなく壊され、高層ビルや50階建の集合住宅が林立する大都市である。もちろん、当時の民家や生活用具類は収集、保存されてこなかった。式典に参加した蔚山市長は、「みんぱくの達里資料を1日も早く見たかった。」と述べていたし、若い女性は「私たちが残せなかったものをよーく保存してくれていた」と感謝していた。 永いこと異郷の地、みんぱくの収蔵庫に眠っていた達里資料は、蔚山出身のソウル大学教授の李文雄博士が1987年度に外来研究員としてみんぱくに滞在しているときに発見したものである。2009年から、みんぱくと韓国の国立民俗博物館、および蔚山市(博物館)のスタッフが共同で達里資料の情報収集や達里の現地調査などを行って蔚山博物館の完成時の展示に備えてきた。その国際連携研究の成果が、今回の特展にいかんなく反映されている。それにしても、韓国の都市の「伝統文化」の現代的活用へのエネルギーには圧倒される思いをした。 ![]() 2011年 11月 25日
中国の文化人類学の拠点の一つ、社会科学院民族学人類学研究所から4名の研究者が、韓敏さんの組織した国際フォーラム「グローカル化の中の文化伝承」へ参加するために来館した。
モンゴルのシャマニズム研究者の色音さん、経営人類学が専門の舒瑜さんと張継焦さん、社会人類学研究の劉正愛さんと、いずれも自社会である中国・モンゴルを研究している多彩な顔ぶれである。みんぱく側からも塚田さん、横山さん、佐々木さん、小長谷さん、野林さん、平井さん、藤本さんなど、東アジア・東南アジア・中央・北アジアの専門家が参加した。また、国内からは渡辺欣雄(中部大学)、周星(愛知大学)などが参加した。 みんぱくと社会科学院の今後の共同的な研究の第一歩となった。 ![]() 2011年 11月 06日
梅棹忠夫の『モゴール探検記』は、アフガニスタンの山岳地帯に残る13世紀のモンゴル軍団の末裔とその言語を探す調査記である。
このモゴール族のように、ユーラシアの各地にはチンギス・ハーンの軍団の一部が定着し、その末裔が暮らしている社会が存在する。その人びと(オイラド・モンゴル)を対象にした国際シンポジウム「オイラド・モンゴル研究の新展開」が開催され、20名近くの研究者がみんぱくに集った。 このミニ学会の仕掛け人は小長谷有紀教授と外国人客員のI.ルハグワスレン(モンゴル国立技術科学大学)教授で、ロシア、モンゴル、中国、日本からオイラド系集団についての歴史学、言語学、民族学の専門家がモンゴル語で発表と議論を繰りひろげた。 2011年 11月 05日
みんぱくで三尾稔准教授が開催している企画展「インド・ポピュラーアートの世界~近代西欧との出会いと展開」関連の国際研究フォーラム「近現代インドにおけるナショナリズムと大衆文化」へ参加するために3名の外国人ゲストをお迎えした。
お一人は、ジョティンドラ・ジャイン(Jyotindra Jain)博士。現インド視覚芸術センター所長で、インドの民俗芸術の研究を長く続ける一方、インドの近現代の ポピュラー・アートの価値を早くから見出し、収集と研究を行う、インド美術史の専門家である。もう一方は、ユッタ・ジャイン=ノイバウアー(Jutta Jain-Neubauer )博士で、ドイツ生まれのインドの美術史・建築史家。インド西部の公共水利建築である 階段井戸について先駆的な研究を続けている。3人目は、クリストファー・ピニー(Christopher Pinney)博士で、ユニヴァーシティカレッジ・ロンドン教授。 近現代インドにおける写真技術の受容やインドの大衆の間での写真や絵画の利用について文化人類学的観点からの研究を行っている。 現在の民族学博物館の役割についてはなしあい、ドイツで議論されている民族学博物館の都心移転に伴う、研究・収蔵部門と展示部門との分離問題に関しては、その審議委員であるジャイン博士は慎重な考えを述べていた。また、ポピュラー・アートの議論で、インドと日本の「性転倒」表現にはかなり共通性があることなどが話題になった。現代インド地域研究の拠点であるみんぱくにおいて、インドの現代の大衆芸術を展示しフォーラムを開催することはまことに意義がある。 ![]() 2011年 11月 05日
マレーシアの先住民オラン・アスリの土地権獲得などを支援するNGO、オラン・アスリ研究センターの創設者で活動家のコリン・ニコラス(Colin Nicholas)さんと、TONIBUNG事務局長でマレーシア先住民ネットワークのテクニカルアドバイザーのアドリアン・ラシンバン (Adrian Lasimbang)さんのお二人が訪館した。ニコラスさんは、土地権裁判を支援しているが、そのさいに「アクティビズム閾値」という考え方に基づいて、組織レベル、メディア、人びとの共感、政治支援を行っているとのことである。その功績で本年度の国連NGO組織賞を受賞された。ラシンバンさんはサラワクの先住民集落で水力発電などの再生可能のエネルギーやそのほか適正技術の普及に努められている。 お二人は、白川千尋准教授が主宰する機関研究「支援の人類学」の国際シンポジウム「グローバル支援の時代におけるボランタリズム―東南アジアの現場から考える」で報告を行った。
![]() # by minpaku | 2011-11-05 11:32
2011年 10月 28日
廣西民族博物館長Wang Wei(王頠)博士が10月28日に来館した。
館長の専門は古生物学で化石標本の岩石分析を東京科学博物館で行うための 来日であった。 ![]() 本館の塚田誠之教授の廣西自治区での歴史人類学研究の成果や中国での「みんぱくの評判」を聞いて大阪まで足を延ばしてくれたとのことである。 展示場から収蔵庫を5時間にわたり見学し、塚田さんの話では収蔵庫での燻蒸や低温保管、衣服や毛皮などの保存と資料の記録の方法などに強い関心を示したという。 「進んだ収蔵の技法に感激した。自分の博物館の収蔵技術の改善の見本にしたい」と語っていたとのことである。 ![]() 2011年 10月 21日
ロシアのサンクトペテルブルクにあるクンストカーメラ(Kunstkamera)のチストフ(Yuli.K. Chistov)館長と10月21日に学術協定の調印を行った。当面、その博物館が所蔵している日本資料(約1万5千点)の調査と情報拡充のための共同研究を行うことにしている。また、教員の交流や共同調査などの研究計画を具体化させていく予定である。 同博物館はピョートル大帝の命により、世界から「珍奇なもの」(Kunstkamera)を集めて1714年に創設された。後に、図書館や教育研究機関を併設し、ロシア科学アカデミー・ピョートル大帝人類学・民族学博物館の名称がつけられた。ネヴァ川べりに建つバロック様式の美しい博物館は、研究員120名、学芸員20名を擁し、民族・考古・人類学資料約100万点、写真・図像資料80万点を所蔵する世界で最古・最大級の博物館である。展示場には、解剖学的な奇形児やロシアに生息しない動植物などが棚に入れられた展示室や世界各地域から収集された民族資料が所狭しと並べられている。入館者は年120万人という。 ![]() この調印前にベルリンのライプツィヒとダーレムの民族学博物館を訪れた。 ライプツィヒ民族学博物館の訪問は、ダイメル(Deimel, Clauss)館長に本館で開催中のアイヌ展への資料提供のお礼を述べることにあった。この博物館は1929年創設で、地元では建造資金の寄贈者、グラッシ(Grassi)氏の名前から「グラッシ博物館」と呼ばれている。19世紀から世界各地で収集された数多くのコレクションの所蔵品の5%にあたる約5千点を規模の小さい展示場に工夫を凝らして展示している。モンゴルのゲル、ベドウィンのテント、ツバルの住居なども展示されている。 ベルリン民族学博物館は、みんぱくの創設にあたって展示場や展示方法などのモデルにしたところである。1873年に「王室民族学博物館」として創設され、ベルリンの中心地に7年後に開館した。その後20世紀初頭にダーレムに博物館の建物群が建設されたが2度の世界大戦などで破壊、収蔵品が奪われるなどした。現在の博物館の建設は1964年からで、展示は3階に分けられ、南北アメリカ、古代メソアメリカ、太平洋、アフリカ、東アジア、南アジア、民族音楽にかぎられている。約51万点の民族・考古学資料を所蔵しており、それらは主として19世紀から20世紀初頭にかけて世界各地で「学術探検・発掘」を行って収集したものである。 展示物は、オーセンティックで保存状態の良い。また、9000㎡の展示場は、天井が高く広い空間には8艘の大型カヌー、パラオとニューギニアの集会所が展示されている。ナーサ(Siegmar,Nahser)東・北アジア研究部長の話によると、研究員10名、学芸員10名のほか、大学院生や学生の協力で資料の保管と展示を維持しているとのこと。また、博物館が郊外にあることから統一後入館者が減り、都心の「博物館島」近くへの移転計画が進み、展示と研究の分離をめぐり検討中であるという。 ![]() 2011年 09月 14日
台湾の国立台北芸術大学で、本館との学術協定に基づいて国際フォ-ラム、「民俗/民族文化的教育と博物館」が9月14~15日に行われて、私は「国立民族学博物館とオセアニア研究」というタイトルで基調講演を行った。
![]() ![]() このフォーラムには、本館の吉田憲司さん、オランダのトロッペン民族学博物館のルーベン(L.Ruben)さん、ザンビアのルサカ博物館のチャリティ(Charity,M.N.S.)さん、国立台湾博物館の李子寧副館長、そして国立台北芸術大学の王高山が、博物館の教育的役割と各国の実践について報告し、議論を行った。参加者は、台湾の大学と博物館の研究員や学芸員、大学院の学生など約100名であった。 ![]() フォーラム前日に国立台湾博物館を訪問して、館長と副館長にお会いし、その後副館長の案内で展示場と収蔵庫を視察した。この博物館は日本統治時代に設立されたもので、数千点の台湾原住民資料を所蔵しており、現在新しい収蔵庫で資料の整理保管作業を行っている。それらの資料を原住民に公開しており、民族に関係なく「良質」の民俗資料を自民族の象徴物にしようとする動きがあると学芸員は述べていた。失われた文化の復興と自文化の伝統の創設(「重作」と呼ばれる)を目指して古民族資料が注目されてきている。 # by minpaku | 2011-09-14 11:20
2011年 09月 08日
中牧弘允教授を組織代表者として9月8日から10日にかけて国際シンポジウム
「東アジアの光と影―健康、富裕、『餓鬼』」およびワークショップなどが本館で開催された。 参加者は国内外から70名。この国際集会は東アジア地域を研究対象とする人類学研究の深化と発展を目指して行われたものである。この会には、韓国人類学会会長の金光億ソウル大学教授、同副会長の韓国学中央研究院文玉杓教授、台湾文化人類学科会長の黄樹民中央研究院所長、香港の人類学研究者集団の代表、麥高登香港中文大学教授、そして中国人類学研究グループ代表、王銘銘北京大学教授らが参加した。これら会長とリーダーの間では、当面は国際的な研究集会を開催し、将来的に学会などの組織化を図ることで合意した。 次回の集会は、香港で行われる予定である。 ![]() 2011年 09月 08日
フランスのデカルト大学の人口開発研究所(Centre Population et De'veloppement:CEPED)のギルモト(Christophe Z. Guilmoto)教授は、インドとヴェトナムにおいて人口統計学的手法によって家族の動態を研究している。今回の訪問は二つの目的があり、ひとつは本館の鈴木七美教授が組織した国際シンポジウム「アジアにおける生殖補助技術と子どもの誕生・親族・ジェンダー」において、ヴェトナムの「息子優先選択」の実態についての報告、と二つ目は本館との学術協定の打ち合わせのためである。
昨年度のシンポジウムに参加された同研究所長イブ・シャルビ(Yves CHARBIT)教授は、本館の社会人類学的研究とCEPEDの人口学的研究の協力によって新しい研究分野を開拓したいと希望を述べていた。当面、「家族、社会、国家」を基本的なテーマにすえて、学術協定の締結へ向けてシンポジウムを共同開催する方向で進むことで合意した。 ![]() 2011年 08月 05日
ベトナム社会科学院のHo Hoang Hoa准教授(越・日研究交流センター長)、Hoang Dinh Hoi教授(同センタープロジェクトマネージャー)、Nguyen Thi Oanh(現在、国際日本文化研究センター客員)、そしてPham Thanh Hai教授(フエ文化財管理保存センター長)ら、8名のスタッフが「観光のための歴史・文化的研究」の調査のために本館を訪れた。
この一行は、学術交流の一環として国際日本文化研究センターを訪問中で、小松和彦教授(同センター副所長)とともに訪館したものである。ベトナムの遺跡の復興、とりわけハノイ城の発掘やフエの宮廷復元などについての日本の大学や研究機関からの支援の現状、日本の財団の財政援助によるベトナム学生の日本への留学制度など人材養成についての説明を受けた。![]() みんぱくとしては、有形・無形の文化財の保存や保護についての技術や知識の支援の可能性について提示した。展示場を視察後、東南アジア展示コーナーにベトナムの民族資料が数点しか展示されていない現状をみて、社会科学院のスタッフはみんぱくの今後の標本資料収集に協力することを申し出てくれた。 ベトナムでの標本資料の収集は、本館開館以来試みてきたが、ベトナムの国内事情によりほぼ不可能であったので、今後の展開に期待したい。 ![]() 2011年 07月 03日
浙江大学羅衛東副学長兼社会科学研究院長、黄華新人文学院長と盛暁明同副院長の3名が、神戸大学の王柯教授(大学院国際文化学研究科)とともに訪れた。浙江大学は48の学部・研究科を要し5万人以上の学生・大学院生を抱える総合大学で、中国の大学評価でもトップクラスである。 来館の目的は、人類学研究センターが設立され、今後博物館を創設する計画があり、そのための調査である。新しい博物館は、考古、歴史、民族などに関する展示を考えており、展示は大学院生の教育にも活用し、学生が自ら展示を行うことを単位化する予定であるという。研究と博物館の関連性、展示の新技法、ミュージアムショップなどについて情報を提供した。人類学研究所は、人間、社会、環境について雲南や西北地域で調査を行っている。羅副学長は40歳代の若い研究者で、大学の豊かな財政のもとに、人文・社会科学の研究の新展開を目指した構想を着々と実現しているとのことである。 2011年 06月 24日
Niko Besnier 教授は、オセアニアのツバル、トンガ王国、日本などでフィールドワークを行い、言語コミュニケーション、海外移住、トランスジェンダーなどについて多くの成果をあげている。ツバルでは、ゴシップによる世論形成、トンガでは近代化、日本では在日トンガ人ラグビー選手などについて成果を発表している。 今回は、日本の言語教育学会の招聘で、関西大学で基調講演を行うために来日した。 トンガ王国におけるニュージーランドやアメリカからの帰還者(犯罪や不法滞在などによる強制追放者)の増加とそのトンガにおける処遇についてなど、新しい現象について議論した。なお、彼の近著 On the edge of the Global: Modern Anxieties in a Pacific Island. Stanford University Press,2011 を届けてくれた。 2011年 06月 10日
上海交通大学の呉旦副学長、許万国国際交流課主任他6名の事務官が
みんぱくの研究と博物館についての調査におとずれた。 ![]() 中国と日本における博物館について意見を交換した後、展示場を見学して、触れる展示に感激していた。 ![]() ![]() 2011年 06月 07日
Befu Harumi(別府 春海)先生は、みんぱくの本館の創設期から、
国際シンポジウムや梅棹忠夫初代館長の主宰する「文明学」の国際シンポジウムの コーディネーターとして、本館の研究の発展に貢献して下さった。 今回は、HRAF(Human Relation Area File)日本の 岡山データの整理のための来館である。 2011年 05月 20日
コーネル大学東アジア研究センター長の宮崎広和准教授が、京都と福井で「金融の人類学的」調査のために訪日しており、みんぱくの「ウメサオタダオ展」と新しいオセアニア展示の見学を兼ねて訪れた。宮崎さんは、オセアニアのフィジーを中心に調査研究をおこない、オーストラリア国立大学で学位を取得した。
2005年から東京大学社会科学研究所の玄田有史教授が中心になって始めた「希望を社会科学する」学際的共同研究に加わり日本で金融機関を対象に研究を行っている。彼のフィジー研究は、The Method of Hope: Anthropology,Philosophy and Fijian Knowledge,Stanford Univ. Press,2004 で発表し、日本語でも『希望という方法』以文社、2009として刊行している。 2011年 05月 14日
台湾国立台北芸術大学で9月14日から3日間わたってに行うみんぱくと台北芸大との学術協定に基づく国際シンポジウムの打ち合わせに黄貞燕准教授が訪れた。
![]() 14日に私が「国立民族学博物館とオセアニア研究」という演題で招聘講演を行うことになっている。台湾原住民とオセアニア島嶼部の人々は、オーストロネシアン(南島語)を共有することから、台湾の研究者や一般の人々も太平洋諸島の社会と文化に強い関心を抱いている。 講演では、海を渡る乗り物・カヌーと航海術などについて話す予定である。 2011年 03月 29日
楊南郡さんは、台湾行政院原住民委員会の専門委員で、日本統治時代の日本人人類学者の学術研究のいとなみを調査する目的で訪館した。今回は台湾国史館の委託をうけ、本館所蔵の鹿野忠雄さんのアーカイブスならびにアチック・ミュージアム資料を渉猟し、「鹿野忠雄の評伝ビデオ」を制作」することであった。楊さんは、日本統治時代の日本人研究者の研究成果、『台湾系統所属の研究』(馬淵東一)、『生蕃行脚』(森丑之助)や『山と雲と蕃人と」(鹿野忠雄)などを、台湾の人びとのために翻訳している。楊さんの話によると、戦争末期に14歳で座間の海軍工廠に志願して勤務し、日本語を覚えたという。終戦後は、国立台湾大学外国語学部を卒業後、英語教師などしたが、19世紀末から20世紀にかけて日本の研究者が地図もなき台湾の山地に分け入り、台湾原住民の調査研究を行ったことに強い感銘をうけた。それで、台湾社会の「台湾化」が進む現代に、日本時代の調査資料を発掘して台湾の人びとに知らせることの重要性を痛感しているという。原住民を含む台湾の人びとの歴史認識に日本の戦前の人類学者の研究がお役に立つことを願う次第である。
![]() ![]() 2011年 03月 28日
ロシア科学アカデミーのピョートル大帝人類学民族学博物館(通称クンストカーメラ)から二人の日本研究者が訪れた。アレクサンダー・シニ―ツイン(Alexander Sinitsyn)さんは、民族学者であるが当館が所蔵する日本資料に関心を持って研究を進めている。もう一人のアンドレイ・ソコロフ(Andorei Sokolov)さんはアイヌ研究者で、当館には7千点以上のアイヌ資料が所蔵されており、その研究と整理を行っている。彼は本館の展示と所蔵のアイヌ資料を熟覧して感激していた。両氏は、日本文化研究機構の「在外日本関連資料」プロジェクトの一環として本館が開催した国際シンポジウム「バルト海周辺地域の日本コレクション」に参加するための来館である。シンポジウムには、エストニアとスエ―デンからも研究者が参加する予定であったか、「日本渡航禁止」の国家の方針により参加できなかった。
![]() 2011年 03月 13日
サハリン国立総合大学長のミシコフ・ボリス・ラマザノヴィッチ(Misikov, Boris Ramazanovich)さんと同大学の日本語学科長のシャシキナ・オリガ・ヴラジミロヴナ(Shashkina, Oliga Vlagimirovna)さんが訪れた。サハリン国立大学は、16000人の学生数を抱え、日本の大学とも学術協定を締結して学生交換を行っているとのこと。本館とは、樺太・千島の先住民研究についての調査と研究についての協力関係を強化することで話し合いが進んだ。
![]() 2011年 03月 11日
クジラと捕鯨文化を研究している3名の外国人研究者が、本館の岸上伸啓教授が組織した3日間にわたる国際シンポジウム「世界の捕鯨文化の過去、現在、そして未来」に参加するために来館した。デンマークのロスキルド大学(現在、ノルウエー北方空間開発研究所)からラスムス・ラスムッセン(Rasmus Ole Rasmussen)さん、オーストラリアのギルフィス大学からマイケル・ヒーズル(Mchael Heazle)さん、そしてハワイのビショップ博物館からスーザン・レボ(Susan Lebo)さんである。ラスムッセンさんは、グリーンランドでクジラの生息を研究しており、毎年数カ月は太陽の出ない島での生活をしているという。ヒーズルさんは、日本滞在も長く現在はオーストラリアで日豪のクジラへの認識の相違について研究している。そしてレボさんは、18世紀以降の太平洋における捕鯨の歴史について研究している。この3名のほか20名近い日本の研究者の報告からは、「捕鯨は人類の生業活動の一つで、クジラ資源の適切で、再生可能な利用は認められるべきである」という共通の考えがうかがえた。 ![]() 2011年 03月 05日
国際シンポジウム「日常を構築する―アフリカにおける平和構築実践に学ぶ」に3名の紛争研究の専門家が参加した。お一人はノルウエー生命科学大学からのナダラジャ・シャンムガラトナム(Nadarajah Shanmugaratnam)教授で、スリランカ出身。日本の大学で10年ほど研究をした経験があり、現在は国際的に著名な紛争解決のための研究者である。オスロ国際平和研究所からのシンディ・ホースト(Cindy Horst)上級研究員は、アフリカの民族紛争の専門家である。そして、アフリカからはナイジェリアのオバフェミ・アウォロゥオ大学のチャールズ・ウケジェ(Charles Ukeje)准教授が参加した。上の二人は文化人類学者であるが、ウケジェさんは国際政治学を専攻し、西アフリカの紛争問題の専門家である。本シンポジウムは、本館機関研究員の内藤直樹さんの企画で鈴木紀准教授が組織する「機関研究―支援の人類学」の一環として行ったものである。日々の生活を営む人びとの視線から、紛争後の生活回復・復興の希望とそれを実現するための当事者間、NGOや民間の人びとの活動に焦点を当てた、若手研究者主体のユニークなシンポジウムであった。
![]() 2011年 01月 28日
![]() マルタ島など地中海社会を対象に人類学の調査研究を行っているJ.ボワセベン(Boissevain;アムステルダム大学名誉教授)ご夫妻が訪れた。本館の森教授企画の国際ワークショップで「ヨーロッパ人類学の地平」の基調講演を行うためである。ボワセベンさんは、戦後アメリカの「世界貧困救済組織」CAREの一員として在日し、東京・横花などで日本人が生活を立て直すための「ケアーパッケージ」を配布する仕事に就いていたとのこと。その後、ロンドン大学で人類学を専攻して、1952年からマルタ島で家族・親族を中心とした調査研究を行い、現在もマルタ訪れているとのことである。ヨーロッパ人によるヨーロッパ社会研究の草分け的存在である。 2010年 12月 17日
大韓民国文化財庁無形文化財課より、キム・チソン行政事務官、イム・スンボム学芸研究士、イ・ミョンヒ主務官、チン・ヨンファン主務官が、東京芸術大学の金宰永教育研究助手の案内と通訳をともに訪れた。本館では、田村克己副館長が太田心平助教とともに対応した。現在韓国文化財庁は全羅北道全州市にアジア太平洋無形文化財殿堂の建設を計画中であり、そこでは公演、展示、伝承、伝達の機能をもつことが計画されており、それに向け韓国を中心に世界各国の無形文化財のアーカイブの作成と活用に関する作業を行っているとのことである。本館はこうした事業について先進的役割をしているとして、運営方針や展示運営、公演事業等に関し質疑応答があり、本館における資料の公開とその運営について意見交換が行われた。また、将来的に本館と協力して事業を展開する可能性も話された。本館は、1977年の開館当初から、映像資料の閲覧システム(ビデオテーク)を通じて無形の文化に触れる機会を広く一般に提供するという、世界でも先駆的な努力をおこなってきた。こうした本館のとりくみが評価され、新たな博物館事業を展開する際にも参考にしていただけるということは、本館の国際的な学術・社会的貢献としてたいへん意義があることだと思っている。将来的には本館と韓国文化財庁との連携事業がさらに進むことを願っている。
![]() 2010年 12月 13日
雲南民族音楽の世界的研究者、張興榮(雲南芸術学院音楽学院教授)、李薇兒(雲南芸術学院音楽学院准教授)そしてHelen Rees(ヘレン・リーズ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授)の3氏が12月13日に訪れ、中国南部の民族音楽研究の歴史と現在について懇談した。3名の研究者は、12月11日に開催された総研大博士課程院生の伊藤悟君が企画した国際シンポジウム「雲南少数民族の伝統音楽」へ参加するための訪館であった。本館からは、横山広子准教授、韓敏准教授と塚田誠之教授が懇談に加わった。張さんは学生時代から雲南省の諸民族の歌にひかれ、以来25の少数民族の芸能文化について30年にわたり調査研究を行っている。その成果は10点以上の著書で公にし、また日本や欧米で招待講演を行うなど国際的に活躍している。李さんは、張さんとともに調査を行い、主として映像記録を担当している。そして、リーズさんは雲南のナシ族と漢族の儀礼音楽を専門に調査を行い、3点の民族誌をあらわしている。伊藤君とリーズさんは張さんの雲南恩芸術学院の教え子で、伊藤君は師を招いて国際シンポを開催したことになる。
![]() 2010年 12月 10日
ロシア国立民族学博物館(The Russian Museum of Ethnography)とロシア科学アカデミーピョートル大帝記念人類学・民族学博物館(KUNSTKAMERA;Peter the Great Museum of Anthropology and Ethnography, Russian Academy of Sciences)を12月2日から9日にかけて酷寒のなか、佐々木史郎副館長と訪問した。ロシア国立博物館では、昨年秋に本館を訪問されたV.グルスマン(Vladimir GRUSMAN)館長と再会し、歓迎されるとともに学術交流協定の調印を行うことができた。この博物館は、1895年創設でロシアおよび近隣地域の民族と文化に関する膨大な資料を収集・所蔵、展示している。修復が終了した特展用の中央ホールは、紫がかった大理石列柱と多様な民族レリーフからなる空間である。研究者が収集したロシアの民族衣装、中央アジアの現代展示、シベリア諸族のシャマンの展示、またロマノフ王朝からの寄贈された金銀や宝石の装飾品や儀礼用銃などの「秘宝」等々の展示は、本質主義的であるが見ごたえのある工夫が凝らされている。本館とは、共同調査、収蔵品の科学的保存技術の交換などを中心に交流を深める予定である。
クンストカメラ(「僻遠・未知の地の稀少・珍重な収集物」の意味;人類学・民族学博物館)では、Y.チストフ(Yuri CHISTOV)館長らと人間文化機構の「日本関連在外日本資料の国際共同研究」プロジェクトの調査実施についての打ち合わせを行った。当博物館とは佐々木副館長が親密な学術関係を維持しており、話はスムースに進んだ。当館の3名の日本研究者は、所蔵する数百点の日本資料については写真撮影を終えているとのことで、みんぱく側からはそれらの資料についてのより的確なコメントと歴史的経緯などについて資料提供して、両館で共同研究の成果を公にするという方針を確認した。クンストカメラ博物館は、1714年にピーター大帝によって創設され、18世紀から天文学、生物学、形質人類学から民族学や外国の歴史資料など180万点を所蔵している。人類史や世界各地の展示はケースにおさめられた伝統的展示であるが、年間120万人が訪れている。2004年には創設300年記念事業を予定しており、本館と共同の催しを開催することを要請された。 ![]() 2010年 12月 01日
ペルー・カトリカ大学と本館との学術交流協定の調印が12月1日に館長室において行われた。この調印には、カトリカ大学総長のルイス・ペイラノ・ファルコ二(Louis Peirano Falconi)教授が来館され、私とのあいだで協定書に署名した。本協定は、齊藤晃准教授を中心とする先住民研究プロジェクトの推進やシンポジウムの開催、教員の交流などをカトリカ大学との間ですすめることを目的としている。ファルコニ教授は、社会学者で大衆演劇とコミュニケーション論を専門にしている。実際に数百人の出演者を指揮、演出して教会演劇を行う芸術家でもある。15年前に故友枝啓泰名誉教授が組織したアンデス国際シンポに参加して、1週間本館に滞在したことがある。1989年にみんぱくで行った「大アンデス展」の入館者数は現在まで超えられておらず、その成功はペルーの天野博物館の協力によるものであるとの私の説明に感激し、その成功譚をペルーで紹介するとかたった。そして、「みんぱくは世界で最大級の民族学博物館である」と延べ、今後は研究だけでなく、みんぱくの特別展などにも協力してくださるとのことである。
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